美作市内への小さな旅

  初めに

和銅6年4月 備前の国より統治上の理由等により分国された美作の国。その東部に位置する429.19km²  人口3万人弱の美作市。県下1の後山(西の大峰山)、藤原定家も行ってみたいといった湯郷湯(昔は勝間田の湯)、湯郷ベルのチームがある美作市を見て頂きたい、訪ねて頂きたくて、特色のあるところ紹介します。湯郷や上山の雲海、五輪坊などの宿泊施設に泊まりながら、ゆっくり、小さな旅を楽しんでください。人数限定ですが、早く申し込みをしていただけますと 昼食や入館料は別で ボンネットバスで行ける 無料の半日コースの小さな旅もいけるかもわかりません。お応募を待ちしています。田舎ですが、どうぞお越しください。

 

 

見晴らしがよい 高台からの眺望

1湯郷~那岐山まで見える大山

             大山よりの眺望  自動車で10分徒歩5分

湯郷の吉野川東岸 鷺湯橋を左折 約300メートルを右折。急な斜面の道を上る。梅雨時には 山側に多数の紫陽花が彩る。上りきる少し手前に車場有。左に200メートル進むと 展望塔あり。遠くに津山東部勝間田 那岐山日本原 県下一の後山 近くに高比野山 三星山 塩垂山 城山 豊楢平地 林野 眼下に湯郷温泉街 位田が見える。四季折々素晴らしが 新緑のころ、秋の雲海のころが特によい。

 頂上付近の駐車場より坂を超えると 大山の集落に出れる。お茶の畑を見ながら位田の真休寺があった跡や仁王道辺りを散策するのもよいコース。 

 注意 大山にはワラビがよく映えます。個人の所有地なのでワラビを採らない

 ようお願いします。

 

2棚田の美が見える上山  40分

 

国道374号線 福本の信号を東に入り 長福寺を見ながら中川の信号に至る。左に行けば 天岩門別神社(美作の3の宮)国際サーキット場へ20分、真直ぐは吉永、和気へ 右にとり 坂を上る。峠 和気町との境を左折して登れは゛左手に民家や上山神社の森が見えだす。神社の鳥居、あるいは 道が2つに分かれたあたりに駐車し、北を見る。かって 1000枚棚田があった。それは、その山の向こう側に奈良時代から明治時代にかけて鉱石が掘られた慶長鉱山があり、そこで働く人々を養うために開発されたものだと。現在 ここを上山を若者を中心とした人非度とが協力して 棚田を再生中だ。 田植え後や稲刈り前の棚田が今だ故郷の原型をとどめている。くるっと周回道路を一周しながら 古民家に寄ってみるのも良いだろう。秋の雲海頃もまたよい。更に上ると 雲海温泉がある。日本で2番目にお湯の粒がが小さい温泉だとか。ゴルフ場、テニス場、グランドゴルフ場、夏は温泉プール。コテッジ。キャンプ場などあり家族でゆったり過ごすのによいところである。

 

3  豊楢平地がよく見える三星城址 上まで1時間弱

 

 国道179号線の市役所の信号を津山方面に300メートル位走ったところ左側 美作中央病院南の小路を上る。坂は急だか軽四でのほれば 突き当たったところを 左に行けば三星稲荷の広場 右に行き折 り返して登れば駐車場有。 山麓の段丘はかって屋敷や寺があったところで 今は 草原の公園となっている。この上段には この城主後藤勝基の五輪塔がある。そこより 途中 井戸跡など見ながら上がること30分、西の丸あたりにたどり着く。約220メートルの峰が3つあるので、三星とか。西よりそれぞれの峰に西の丸。本丸、東の丸の城址がある。東のへ丸跡が一番広い。これらの峰よりの眺望は、大山よりの眺望より 湯郷は見えないけれど 日本原 勝間田 豊楢平地ほかはもっとよく見える。春のつつじのころや秋の紅葉の頃がよい。天正7年宇喜多直家に滅ぼされるまでの堀切、土塁、曲輪、堅堀跡など 中世の山城の跡が残る。

 中国自動車道路などから 夜「美」の字は 山の頂の下に仕組まれている。

 

  4 武蔵の里と大原宿が見渡せる竹山城址 50分

 

 吉野川に沿って北上 バレンタインホテルを右側 旧豊野小学校校舎 旧城山中跡を左 淀橋を過ぎると やがて 右の川向うに武蔵顕彰武道館が見えだす。左前の大原小学校の後ろに 戦国時代後期竹山城があった山が見える。ホームセンターの信号過ぎ 千歳橋手前(吉野川を渡らず)を左折。200メートル進み左折。谷に沿って坂道を左回りに上がる(バス、マイクロバスは道幅はあるが 木が茂り屋根に当たる)。駐車場有。トイレあり。東を大手、西を搦手。東より本丸、馬場西の丸、坊主が丸かあった。その太鼓の丸、堀切、井戸門の跡があり。城が竹で覆われていたので竹山城と言われた。戦国時代後期の典型的な山城であった。この竹山城には新免伊賀守貞重が明応2年(1493) 東にある山王山城より移り 3代109年にわたり この地方に君臨した新免氏の居城であった。宮本武蔵の父 無二も新免氏に仕え 毛利氏旗下の佐渕城主草刈氏との戦いでは 軍師ぶりを発揮し 勝利に導いている。北に古町が、南に武蔵の里が手に取るように見える。

 岡山県内では 本陣、脇本陣がそろって残っているのは矢掛の宿と古町を含む小原宿のみである。昔の風情を残す小原宿の 秋祭りの神輿、春の雛祭り頃 一日ゆっくり散策することを薦めます。宿泊は五輪坊で。池田の殿様が食べた本陣料理を召し上がれ。

 

 5 愛の村パークが見える ビルペール公園 

 大原病院の交差点を東進、後山川に沿って上る。市東粟倉総合支所、東粟倉小学校を過ぎ 粟倉工房を左にとり429号線を県道556号線の終点の交差点まで行き 左折奥海乢のところ付近で左折、上へ 上へと登る。駐車場あり。喫茶店あり

(シーズンに開店)駐車場より階段を上り 日名倉山のほぼ頂上に近いところにリュウバンベールの鐘を吊るした、凱旋門の形どった建物かそそり立つ。登れば 2つの鐘がつける。しかし、力がいる。鳴らせば 鐘の音が響き渡るり、爽快感に浸れる。かっては ここで結婚式を挙げることが多かったが 最近は少なくなった、がやはりあり。塔や駐車場からは那岐山(県下2番)袴ケ仙、駒ノ尾の山々、愛の村パークの施設、後山・中谷・青野の村々が眼下に見える。夏は涼しくてよいが、秋のススキのころも またよく、 美作富士と呼ばれるこの日名倉山で過ごすのも、また格別である。お食事は愛の村パークの紅葉カレーか 粟倉工房のうどんがお勧め(若い 京都から来た夫婦がしている)。帰りに「愛の水」を20リットルのポリに入れて、名水(無料で汲むところあり)で作った粟倉のうどん、そうめん、もちとともにお土産にしてお帰りください。

 

6 恋人の聖地 作東バレンタイン公園 20分

 吉野川に沿って 179号線を北上する。川北の交差点でやや左正面の山の上にクリーム色の 欧州の城郭を思わせるホテルの建物が見える。どちらの道を通ろうとも そこを目指して登る。坂の途中 美作市役所作東総合支所の案内に従って上がる。市庁舎や図書館、バレンタインホテルなどの建物、広いグラウンド、テニス場 海洋センター等がある。江見の街を見渡せる高台にあり、桜のころは 手入れの届いた芝生の上で 宴会をしたり、周回道路でウオーキングをしたり、大会で使われてなかったらグラウンドやプールで子どもと思い切り遊んだりできる。美術館あり。絵画展・写真展も募集あり。恋人の聖地 バレンタインは ここで多くの人が結ばれ結婚式を挙げている。2人だけの ゆっくりした時をすごせるところでもある。作東は少林寺拳法の宗道臣の誕生の地であり、それを記念して拳法武道場もある。

 尾根を山側に少し足を延ばせば 住宅があり その先に日指の集落がある。ここは 岡山県の伝統野菜「日指の牛蒡」の生産地である。長くて 柔らかく 美味に

特長がある。ここは 山上仏教の名残なのであろうか、毘沙門天を祀ったお寺がある。

 

上 美作市後山 女人堂での護摩焚き

下 美作市巨勢 大山展望台より  湯郷・林野方面を眺望

あまり知られていない歴史が

民話・史跡の旅

1 千人間部の言い伝えの地  約1時間

   上山 慶長鉱山跡ー日本霊異記に載っている所?ー

 

 英田中川の交差点を直進。下谷集落を過ぎ約800メートルところを右に上がる。九十九折を上り、二股になったところを左に進む。家が2軒あり。そこに 駐車させていただき田んぼの畔をとおり 東の谷に出る。そこからは1本道。奥に約600メートル。右側に鉱山の穴が至る所にあり。あちこちに 金糞石が散乱。あるいは山となってある。その山となってあるところを20メートルぐらい行くと坑道の口があり、横を上ると坑道が落盤したようなところに出くわす。これが千人間部の言い伝えの間部であろうか。

 上山には昔 1000人の人が落盤により生き埋めになった。仏様を信じた人がお願いしたら坑道の上に穴が開き、1000人の人が助かったという話が伝わっている。この話は奈良時代に書かれた、仏様のありがたい話が書いてある日本霊異記下108話めに「美作採鉄男の話」があり、昔から伝わるうち 1人が1000人に拡大したのであろう。話はこうだ「天平勝宝元年(749)美作国英多郡の鉄を採る山で 国司が役夫10人使っていた。突然入口が崩れ9人は逃げたが 1人は閉じ込められた。妻子は悲しみ、観音の絵をかき、経を写し、冥福を祈って7日過ぎた。役夫は「まだ法華大乗を映し終えていません。助かったら必ず映し終えます」と誓った。すると光がさし、お坊さんがやってきて食べ物を差し出した。・・穴があき、この役夫は助かったと。このころ 奈良の大仏が鋳造された。関係は?750年前後 奈良の大仏が 造られ 全国から 銅鉱が沢山奈良に送られた。そのうちの一部分が 美作のくにから送られたのでは。

 英田郡にはもう2か所、この話が比定できるところがある。しかし、そこではこの種の民話、伝説は聞かない。すると日本霊異記に載っているところで 一番近いのは 旧英田町上山の段にある、(慶長年間に一番産出量が多かったのでその名がついた)この慶長鉱山かもしれないと英田町史は記述している。しかし、平城京からの出土の木簡などから

粟井中の春日神社 南西の銀山であるとほぼ確定しているようである。

 上山神社にはご神体が2体祀ってある。そのうち1つが 西光寺が屋敷地内にある藤原家から落盤事故で、命を助けてもらったお礼として献上された、この鉱山から出たと伝わる石であると。

 この古代のロマンを感じる道程は他に 上山の妙徳寺の前の道を東進すること400メートル、四差路あり。まっすぐ小路を更に東進 水道の貯水槽に向かって進む。池があり。堤より西進50メートルぐらいで、この鉱山跡に出くわす。今も寺、田や畑、屋敷の跡があり。明治時代まで稼働していた面影が感じられる。

 探索には面白い。しかし、夏季にはマムシに注意。長靴着用のこと。 

 

 2 間山の痩御前(やせごぜ)の奇祭 20分

             高福寺跡の薬師堂

 中尾をとおって上るのもよいが、それより勝央町岡のノースビレッジの三叉路を北に上がる方がよい。勝央町の貯水タンクの手前の道を右折すると、すぐ左側に、原っぱや御堂などの建物が見える。草原に駐車し、このあたりを解説している案内板により歩いてみよう。ずいぶんたくさんの遺跡に出会える。この高福時は用明天皇の国家鎮護の祈願所として開かれ、天平年間 行基により金堂、堂宇、僧坊が開かれたと伝わる。南は大門 西は池ヶ原、北は豊久田、東は川北の峠 この一里四方が寺域であったと。一時衰えるが平安時代半ば ここにいて後姫路の書写山円教寺に行かれた性空上人(ここより 姫路に移る)が再興。戦国時代末期 天正5年1577毛利の上月城攻めの余波か、落雷化かにより 全山灰燼に帰す。林野の安養寺、尾谷の顕蜜寺、植月の観音寺、勝間田の真福寺等はこのとき 四方に分散し 現在地に移った寺である。寛永年間に薬師堂や鐘撞堂・梵鐘は念西が寄贈、再建。寺の跡の周りには大師堂、弁天堂、山王社などの祠、安養寺の会陽の基となった池や岩に至るまで言い伝えが残っている。

 薬師堂には御大師様の木像が大小5体あり。旧の4月8日には美作・勝央にまたがる10軒ばかりの上相の集落人達が 先祖伝来伝わっている痩御前祭をおこなう。木像を背負って 祈願ごとをしながら3回お堂の周りを回る。すると、願いがかなうという。昔は男女とも裸体で背負っていた。笑うと福が逃げるので苦虫を噛んでいるような顔をして回ったので、周りのみんなが笑う。また、笑わそうと囃し立てたとつたわる。この祭りは お釈迦様の弟子の裸こせという人にまつわる話から始まったと 岡山県史の資料編にある。

 平成23年 作東のご婦人が足が悪く 歩行が困難なので「足が直り よく歩けます様」祈願したところ お蔭があって、朝夕不自由なく 散歩ができだしたという奇跡がおこつている。旧の4月8日 

 仏生会には痩御前祭に願掛けに来てください。願いが叶うかも。

 この日は地元の人たちが甘茶の接待をしてくださいます。ありがたいことです。

 

3  長福寺の故郷 真木山へ 40

  かって 西の高野山と言われるほど多くの寺が真木山にあった。今は1寺もない。

 国道374号線 尾谷の英田館を山際まで入り 右折する。すると まだ完成はしていないが 河会に貫ける舗装道がある。1本道なので登るのみ。走ること2キロぐらい、右に土砂置き場?がある。大型車、高級車はここに駐車。軽トラ等は可。右の舗装してない道を進むこと600メートル。鞍部のところに車を置き、右側に下る。すぐに 山々に囲まれ、盆地状の中に かっての真木村があった所にたどり着く。ここは 中国遊歩道の神田と北の中間に当り 山とはいえ道が整備してある。竹や木は伐採されているとはいえ イノシシ、シカが行き来し、荒れている。大正末まで ここに所在していた長福寺の縁起によると 天平宝宇元年(757)鑑真がここを仏法有縁の霊地と認め、官命を奉じて 伽藍を造営したことに始まると。それ以来18haの山上(盆地状の中)に七堂伽藍、数十ケ寺の僧坊がたったと。平安時代の後期になると衰退したが 比叡山僧淵源が弘安年間(1280年ごろ)に 当地に来、再興し、天台宗を広めたと。国の重要文化財に指定してある神田(こうだ)の三重塔は 弘安八年(1285)に 建立されたものである(三重塔では岡山県最古。国指定重要文化財)。その後修復を重ね、火災を免れ、昭和27年に現在地に下山したものである。鎌倉時代から 渋谷一族に所領を半分かすめ取られてから 次第に時々の領主に所領を減らされ、 明徳年間(1390)には60のり寺坊が 慶長年間には40寺坊 明和年間(1760年頃)には22の寺坊 明治維新時 寺領を失い4寺に 明治9年には 般若院1ケ寺のみとなり 大正14年火災あったのを境に 山を下り 神田の現在地に移転。幸い離れてい災難を逃れた鐘楼門、大師堂、本堂、山王権現、三重塔、弁天堂は残った。その後 檀家の協力で下の現在地に順次移転された。現在では朽ち果て山王院跡の建物が残る。跡には 竹や草木が生え石垣が昔の田畑、家、寺院とうの面影を残すばかりである。

 この村は 昔から下男以外は皆僧侶という特異な村であったが、終戦後 開拓団が入り数家族が生活していた。しかし、電気が来ていなく、不便な生活を強いられたので暫時下山。昭和30年半ば一人の老婆が下山するに至り 無人の土地となった。

 荒れ放題になっている所を 竹木を切り何とか過去の様子がわかるよう努力している人もあり。感謝 感激!

 今 人気の的の竹田城址に値する史跡だと思う。地図を頼り むかしのことに思いをはせながら 散策してみてはいかがでしょうか。真木山を散策するのには 湿地帯が多く、長靴を持参することをお勧めします。 

 

 下へ下へ降りれば 千早の滝へ出て、長福寺に至る。道はかなり整備されているが 1時間ほどかかる。明治34年4月8日 国宝物取調局鑑査係で当時古物鑑定の第一人者 前田香雪こと前田健次郎(幼名 猪之吉)と六角紫水(名は注多良 漆塗りの研究者)はこの道を上り 途中滝を見て休み その後真木山に上り 寺にある古物を鑑定した。翌年 11面観音菩薩立像 不動明王像図 十二天像図(12幅) 両会曼荼羅図(2幅)の16点が国宝(現在は 三重塔とともに国指定重要文化財)に指定された。県北で これだけ多くの重文を所持しているのはこの寺だけであろう。散策と合わせて 見学させていただこう。

 平成24年9月から28年10月にかけ三重塔の修復工事が国事業費等総額28750万円かけて行われた。  杮落しも10月済 下山して時のような 鮮やかな姿再現されている。春は新緑、秋は紅葉、冬は雪渓をバックに写真をとりに 訪れる人が後を絶たない。

上から  神田 長福時 (かって 西の高野山とも言われた真木山より下りた)

     

     上山 慶長鉱山(日本霊異記の伝説の地?)

 

     間山 薬師堂 痩御前  

そのほかの小さな旅

 そのほかの小さな旅を紹介します

 

 ◎ 土居宿と万の乢    電車を利用した1日の旅 

    兵庫県佐用郡の上月駅下車ここから万の乢---土居宿----土居駅乗車

    映画のロケにでもよい万の乢付近の山道  維新前の勤王の志士の墓=四つ塚様 土居宿 西総門 をたずねるのもよいで               しょう。

 ◎ 楢原宿・元中山神社 電車を利用した1日の旅

    江見駅で下車 川北で一貫清水を 峠の仏法寺奥ノ院と言われた地蔵堂  津山の中山神社の神(鏡作命)が先に現れ逗留               したという神宿の里  自然発生的にできた出街道 楢原宿 楢原駅乗車

 

 ◎ さきに

       林野駅下車ー備前道ー五十嵐神社ー四辻ー豊国神社ー五座神社(元の豊国神社)-笠懸の森ー楢原宿-楢原駅で乗車

          以上三コースは 出雲街道に関係したコースです。

 

 ◎ 宮本武蔵駅から鎌坂峠肥えして佐用町平福宿 電車を利用したまる一日の旅

   智頭急行宮本武蔵駅で下車 武蔵の里 鎌坂峠 むかしは美作の国だった東中山 武蔵が初めて決闘を↓平福宿

 

 ◎誕生寺への遍路道

   1 江見駅下車 - 原- 山口- 蔭福原 -友野- 北原-猪伏-海内ー三倉だ田ー林野バス・電車に乗車

   2 林野下車- 入田- 湯郷- 北阪ー青木・殿所- 位田- 大門- 則平- 長内乗車

   以上はあまり知られていない 出雲街道の川崎から 誕生寺へ通ずる大坂誕生寺参りの講組がとおった道です。

   途中 講組が建てた道標を探しながら歩くのも また 楽しいです。

 

※ 工事中につき 

上記 お問い合わせは 下のメールでお願いします。

   ただし 忙しい時には ご返事をしかねることがありますこと先に お断りしておきます。 

    メールアドレス hiromitsu93@hi.enjoy.ne.jp

 

 

ボンネットバスで行く半日の旅

美作市のボンネットバス                

申し込み方法 参加者全員の、1.名前、2.住所、3.年齢、4.連絡がつく電話番号 を明記しはがき または メールで申し込みください。

はがき

  〒707-0025 美作市栄町12-12

  みまさか市観光ボランティアガイドの会・中島 操 宛て

メール nana.english@hi2.enjoy.ne.jp  へお願いします。

  ボンネットバスの乗車予約の取れた方に

      当日の発着場は                                                    湯郷温泉観光案内所の南東 湯郷ボウルと国道の間 市駐車場で

                             す。 駐車無料 昼食は各自お取りください(食べる所によります)   

   当日8時30分から 観光ボランティアガ  がお待ちしています。当日交通保険料200円 申し受けます。